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お墓というものもなあ???

お墓
人間最後は必ずここに行き着くがそれまでに
どれだけ行動・経験できるか

お墓ビジネスや葬儀ビジネスのサイトではありません
また、よくある『占いから宗教へ』導く、宗教ビジネスのサイトでもありません。
最後は人間100%ここにたどり着く。

お墓をいかに立派にしても『開運』なんてありえないと思います。

「千の風」という歌の歌詞にもあるように「そこに私はいません」というのが正しいはず。

お墓というものは死んだ人のためにあるのではなく、生きている人のための心の拠り所というのが最もマッチする表現と考えれば、別にそれはお墓である必要もなく、死んだ人の形見の品でも写真でも絵でもなんでもいいはず。

ぶっちゃけ『お墓』はただの石という捉え方がいいのでは。

『お墓』でものを頼んでも、なにか叶えてくれるものでもない。

そもそもお墓は願い事をするところではない。

仮に『お墓』を死んだ人と通信する道具と考えたとしても、死んだ人だって、死んだ人自身ではなく、生きている人間が身分相応のお墓を建ててくれなかったら、心配でたまらないと思うが。

だから、お墓がよければ開運できるというのはおかしな話だろう。

それと同じようなことをあげるのなら「神様を信じれば、宗教団体に入れば開運できる」ということ。

それは占いでも同じ事で、占いのことを例にとって話をしてみると、
占いである事柄を占って、アドバイスとしてこうすればいいじゃないのと出たとしても
行動しなければ結局、なにも変化しないわけだし、そこで変化が起こりその後も変化が
起こり、なんかうまくいっちゃったなということは起こる可能性は十分ある。

『なにか高価なものを購入しようと考えている。』
タロットで占ってみました。

ワンドナイト逆
デス逆
カップ5逆

上記のようなカードが出て、
これらのカードから購入するなと判断して、購入しなかったことで大損せずに済んだというのなら占いをしたという意味もあるでしょう。

しかし、せっかくカードは購入するなと言っているのに購入してしまい大損する結果を招いてしまったら、なんのために占ったのということになってしまう。

それと同じように、
「神様神様」とか「神様にお詫びをしなければ」とか「願掛けをすれば願いが叶う」とか言っている愚かな人間を目にする。

もう洗脳されちゃっているのだろうが。

確かに神社だろうが、神棚だろうが、手を合わせることは悪いことではないし、むしろ良いことだ。

願掛けもなにか願望、希望などを達成するためになにか好きなものを絶つというのも良いことかもしれない。

しかし、それだけで願いが叶うと思っていること自体おかしいし、そういう愚か者がいるのも事実。

「神様神様」とか「神様にお詫びをしなければ」とか「願掛け」というものと同時に、その事柄について何か行動しろよ。

宗教団体でもそんなことまで、普通それぐらい自分で気づけよということで教えてくれないだろうけど。

神様に手を合わせるのも願掛けをするのも、結局はオプションみたいなもの。
それぐらいなことわからないのにわけのわからんことを言っている人間を目にするとバカじゃないと思ってしまう。

願掛けしたり、神様神様と言ってあなたは幸せになれると思っているのですか。

オプションというのは試験でいえば、下駄をどれだけはかせてくれるかということと思う。
困ったときの神だのみの場合だと、
100のうち1ぐらいしか、神様はなにかをしてくれるだけかもしれないけど、
毎日神様に手を合わせて、願掛けしたりしている人だと
100のうち10ぐらいは神様の助けがあるかもしれない
というように。
試験でいうなら1点プラスしてくれるのか10点プラスしてくれると考えるとわかりやすい。
しかし、願掛けしたり、神頼みしなくても結局よく勉強した人間が合格する。

結局、自分で試行錯誤しながら、失敗しながらやっていくしかない。
それぐらいのことがわからずに「神様神様」とか「神様にお詫びをしなければ」とか「願掛け」とか言っているやつは
教養がないと言ってしまえばそれまでであるが。

そういう奴に限って、自分が身近な人間に本当はどう思われているかわかっていない。
はっきり言ってただのバカなのかもしれないが。

こんな例はどうだろうか。
『競馬で私に100万馬券を当てさせてください、大好きな甘いものも食べませんと願掛けをした』

神社にも毎日行って「「競馬で100万馬券をとらせてください。」、「競馬で100万馬券をとらせてください。」」
といっても、自分で配当が100万以上ついている馬券を購入するという行動をしなければ100万馬券が当たるはすがない。

自分で行動せずに手を合わせて、願掛けをするだけの人間に神様のご加護があるわけない。

もう一つこんな例では
すごく高いものを価値がわからないのに家族の人が購入しようとしていて、「神様神様」と言っている家族の方は、まだ自分は神様にお詫びをしないといけないとほざいている始末。

すごく高いものを購入しようとしている人もまだ購入を決めているわけではない。
それなら、それが本当に価値があるものかどうかを確かめればいいだけの話。そんな行動は全くしていない。
言うことと言えば、「価値のわからない人に話が来るということはそれだけの価値しかないものだ。」確かにそれは当たっていると思うが、そんなことを購入する気満々の人に言っても仕方がない。

その価値を知りたければ、購入を考えているものの専門家にお金を支払ってでも聞きにいけばいいだけの話。
美術品なら美術商や骨董商、時計や貴金属なら質屋など鑑定できる人に意見を聞けばわかるもの。
それなのに『神様、神様』や『修行だの』、『願掛けだの』、神頼みで物事がうまくいくはずがない。

最後にもう一つ例をあげると
『どもり癖があるような子供』にたいして、

これについても「その子がお腹にいるときの因縁がとか」、「旦那の方の因縁がとか」、お前が因縁じゃボケと言いたくなる。人のせいにするなボケが。そんな人間が神様にお詫びしても、神様いい迷惑じゃ。

まだ、幼い子供なら頭の回転と言いたいことのバランスが取れてないだけかもしれないし、周りの大人が神様神様とわけのわからないことを言っているから、その子の記憶におかしいことを刻みこんでしまっているため、いろいろなことが頭で混乱してしまってどもってしまっている可能性が高いのに。

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