前途にはどんな運命が待ち構えているのか予測できない
鬼が出るか蛇が出るか
There’s no knowing at all what a terrifying thing may happen.
確かに、人間は生まれてから死に向かって一方通行に進んでいるわけだが、そこではなにが起こるかわからない。
ただ、その起こったことはその時は死にたいと思うぐらいのことかもしれないし、すごく傷つくことだったかもしれないけど、振り返って見れば、あれがなければ今の自分はないということも多々あるだろうし、あれがあったから今・現在どのようなことが見えないところで行われているかわかることもあるだろう。
どんな運命が待ち構えているのかなんて予測できない
『鬼が出るか蛇が出るか』やってみなければわからないのも事実。
「他人に迷惑をかけない範囲」・「自分にうそをついていない範囲」で悩むぐらいならやりたいことをやって、その結果を整理する意味で「考え・悩む」それでいいじゃないの。
また、自分が関わっていなくても、過去に起こったことや周りで起こっていることに目を向ければ参考になることはたくさんある。勉強になることはたくさんある。
情報統制されているような国なら話は別だが、今の日本はオールフリーではないが自分の周りで起こっていることから学ぶことはたくさんある。
本当に東北地方太平洋沖地震では1年先・1ヶ月先・1日先・1時間先・1分先・1秒先なにが起こるかわからないことを見せつけられたような気がする。
津波で被害に遭われた人も大きな地震が終わってやれやれと思ったら、津波の被害に遭われた人も多いだろうし、町の防災会議をしていた人は特にそうかもしれない。
地震が起こる1分前、1秒前には誰もこんなことになるとは思っていなかっただろうし、今回の地震では地震が起こった後、あれほどの津波が来るとは思っていなかっただろうし、誰も予想・予測できないだろう。
占いで予想したと言っている人間もいるかもしれないが、起こると予想したところでどうすればいいのとなってしまう。
それにそんなこと予想して、それを知った人がそんな予想で自分だけ難を逃れたとしてもそんなのは我欲の塊となってしまう。
1秒先に『普通に生活ができている・生きている』保障はどこにもないわけだから普通に生活できることに感謝して、普通どおりに生活することが必要だと思う。
それにさあ、人間、先のこと考えたって、明日生きているって保障なんかどこにもないもん。
一週間先のことなんかもっとわからんし、一ヶ月先のことなんかもっともっとわからんし、一年先のことなんかもっともっともっとわからんわけだから。
だから、先のこと考えたってあんまり意味ないじゃん。
そんなこと、誰でも分かっちゃいるんだろうけど、不安や心配になっちゃうから、それを少しでもなくすために、占いでバイオリズムを読むのだろうし、タロットのようなものでこの事象は今後どうなるかということを占ったりするけど。
確かに私は不安や心配を少しでも溶かすことが占い師と思っている。
だけど、最も不安や心配をなくす方法は、とにかく何でも思い切りやって、経験してみる以外ないもん。
そこで本当に何が出るかわからないけど、
『鬼が出るか蛇が出るか』
この類義語には「鬼が出るか仏が出るか」という言葉があるらしいが、
ただ、やったら答えは出る。
やってみてだめだったら他の方法考えればいい。
確か、電車の中の広告に書いてあった有名な話だけど、
エジソンの有名な話
『私は失敗したと思っていない。
確かに1万回の実験で、電球を光らせる素材は見つけられなかったけれども、フィラメントに向いてない素材を1万回発見することに成功した。』
こんなこと思えと言っても無理だろうけど、
やってみてダメだった。それじゃあ、シンプルに他のやり方考えよう。ということでいいんじゃないと思う。
分かっているようなことを試したらアホだけど。
何の例かは言わないけど、
『鬼が出るか蛇が出るか』の前に警察が出てくるようなことをしてしまったら、お前はアホかということになるし、自分は実際には経験してなくても、同じようなことが起こった時の結果が分かっているのにやってしまうのは、過ちを繰り返しているのと同じで学習能力がないことになってしまうが。
それでもやっぱり「他人に迷惑をかけない範囲」・「自分にうそをついていない範囲」ということぐらいは守ってやらないといけないだろうし、筋はしっかり通っているというか自分でしっかり責任が取れるということは必要である。
どんな運命が待ち構えているか予測できてしまったら、なにも面白くないし、なにも勉強にならないから、
やってみて、結果がどう出るかわからないけど、やってみて思うような結果でなかったらそこで考えればいいのかもしれない。
確かに占いで良くないことが起こると予測できるのであれば、それを事前に知っておきたいそうすれば、対処の方法もあり、「大難を小難に」・「小難を無難に」と思うかもしれない。
しかし、そんなこと予測する必要もないし、対処法を考える必要もない。
そもそも自然に訪れる人生の出来事というのは人間が操作できるようなものではないし、未来は恐がるためにあるわけでもない。
逆に、占いを使ってそんなこと予測して、対処法を考えて「大難を小難に」・「小難を無難に」してしまったら、その人の成長の機会を奪ってしまうことになってしまう。
それに予測して対処したら占い当たらなくなっちゃうじゃん。
起こることは起こることでしゃあない。
人生『鬼が出るか蛇が出るか』予測できないからいいじゃないの。